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2007年10月04日

初期のユリウス暦の運用はどのようなものだったか

それについて調べてみた。

紀元前44年から、7月は、ユリウス・カエサルの名にちなんで、Juliusと呼ばれるようになった。閏年は4年に一度と決められたが、カエサルの死後、誤って3年に一度ずつ閏日が挿入された。この誤りを修正するため、ローマ皇帝アウグストゥスは、紀元前8年から数年間、閏年を停止した。紀元8年からは毎4年ごとに閏日が挿入されている。同時に8月の名称を自分の名Augustusに変更した。

紀元前45年から紀元8年まで、どのような周期で閏年がおかれていたのかについては、詳しい記録が残っておらず、その後何度か論議になった。紀元前45年から3年おきという学者もいれば、紀元前44年から3年おきという学者もいた。1999年に、ローマ暦とエジプト暦の両方の日付が記載された紀元前24年当時の暦が発見され、それを基にした最新の説によると、紀元前45年から紀元12年までの閏年のおかれかたは次のとおりである。

紀元前44年、紀元前41年、紀元前38年、紀元前35年、紀元前32年、紀元前29年、紀元前26年、紀元前23年、紀元前20年、紀元前17年、紀元前14年、紀元前11年、紀元前8年、紀元8年、紀元12年(以後、4年ごと)。

ユリウス暦で人名が月の名となって残ったのは、結局、7月のJulius(Iulius)と8月のAugustusだけだった。多くのローマ皇帝が、月に自分の名をつけようとしたが、残りのすべての改名の企ては、その皇帝の死とともに元の月名に戻った。カリグラは9月をGermanicusと、クラウディウスは3月をClaudius(クラウディウス)と、ネロは4月をNeroneusと改名した。ドミティアヌスは10月をDomitianusと改名した。9月はアントニヌス・ピウスによってAntoninusと改名されたほか、タキトゥスによってもTacitusと改名された。11月はピウスの妻の名をとってFaustinaにされたり、Romanusにされたりした。コンモドゥスは、月に自分の名をつけるだけでなく、12の月全部の名を変更した。順に、Amazonius(1月)、Invictus(2月)、Felix(3月)、Pius(4月)、Lucius(5月)、Aelius(6月)、Aurelius(7月)、Commodus(8月)、Augustus(9月)、Herculeus(10月)、Romanus(11月)、Exsuperatorius(12月)。しかし、前述したとおり、どの改名も、その皇帝が死亡するとすぐに戻され、長続きしなかった。

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